友達は選べるが家族は選べない

友達は選べるが家族は選べない

ドイツ語コースであるルーマニア人が言っていた言葉だが、ドイツにも同じセンテンスがあるらしい。
まったく「げなう(indeed)」と思うことだが、この場合、親兄弟の話だよね

しかし、この言葉を思い浮かべて「家族が期待されているように私も生きねばならぬ」と思うのが日本の文化だろうか。はてさて「家族が期待していることとはわかるけど私はこのように行動しいたのだ」と思って行動するだろうか。