15年の時を超えて

15年の時を超えて

前書き

このブログではボツワナやボツワナ人の考え方、生活習慣などで私が感じ入ったことを、若干長めの堅苦しい文章で紹介する。そんなブログを目指しています。

しかし、ボツワナ生活も3ヶ月が過ぎ、若干の慣れ、惰性というものが出てきてる、、、ような気がしています。

いや、ブログの更新が遅いのは自宅のインターネットがいろいろな事情でかれこれ2週間止まっているからです。

要請内容

このブログでは私の活動については触れていませんが、端的に言えば学内のコンピュータネットワークとパソコンの管理をスタッフと一緒になってやって、技術移転もしちゃおう!ついでに生徒育成もできて、PCラボの5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)もしたいな!というノリの要請です。

つまり、ICTに関する何でも屋というところですね。実際活動はパソコンのウイルス駆除から、スマホの操作のヘルプといったクライアント側のヘルプと、Windowsサーバーやネットワーク、Linuxサーバの設定やヘルプといったサーバサイド、インフラ面でのヘルプも行うという感じです。

前任のあしあと

さて、私は2代目の交代として派遣されていますが、先代はなんと10年前の隊員です。ほとんど新規だろうと思って来ましたが、新規と思っていい状況で引き継ぎなんて言うものはありませんし引き継ぐものは無いような気がします。

スタッフは2012年(要請が出た頃)ごろに総入れ替えになったようで、PCのメンテナンスというよりはウイルスが蔓延していました。

やっぱり新規と同じかな、と思いながら作業をしているうちにサーバルームの壁のドキュメントに先輩隊員のお名前がありました。

 日付は10年前。10年間張りっぱなし

身近なところで前任の隊員の空気を感じられ、若干ノスタルジーな気持ちになったのでした。

前前任のにおい

ある日、コンストラクションのオフィスで作業していると、ある日本人女性と話をしたいという先生がいました。よくよく話を行くと、15年まえにこのカレッジに赴任になった先輩隊員のことのようでした。

15年前の隊員、というと先代の、ひとつ前の先輩、先々代に当たるのだと思います。この方とはJICAを通じてお手紙を差し上げて、現在は無事に交流ができました。先生も感激していましたが、密かに私も感激していました。

記憶として残る日本人の影


 私の自宅は、2世帯がつながったようなお家です。お隣の住人も、カレッジの先生で42歳男性。自宅からカレッジまでは少し遠く、歩くと30分ぐらいかかります。事務所から自転車を借りて持ってきていたのですが、自転車が不調で壊れてしまいました。

修理するにしてもパーツは首都に行かないとてにはいらないので、その間しばらくは歩いていましたが、途中からお隣の先生の車に載せてもらっていました。そうして交流が生まれてしばらくして、彼のことを聞きました。

彼は、20年ぐらいこのカレッジにいるようだということで、先代と先々代の話をしました。するとふたりとも知っているようでした。先代のことを聞くと、「ちょうど君のようによく働く人だ。日本人はいい人ばかりだ[1]」ということを言われていました。

あまり、私はこういうことを口に出して言うタチではないのですが「日本人がここにいて2年間過ごしたということがボツワナの誰かの記憶に残って生きているんだな」と妙にセンチな気持ちになりました。

多くの人が2年間のボランティアの中で「慣れや惰性」の時期があると報告していますが、私もなんとなく今一回目のその時期かもしれません。しかし私の場合、「仕事をしていない=PCに向かっていない=誰かと喋っている事が多い」という状況なので、これはこれで人々と対話するいい時期なのかもと思うことにしました。

とはいえ、時間は限らている。頑張りましょう[1:1]

写真はセントラルカラハリゲームリザーブのど真ん中、360度の地平線での夕焼け



  1. 「頑張りましょう」内輪ネタで申し訳ないが、私はラジオ委員でした。製作ラジオ番組のDJ二人が何か場面切り替えをする際に発する「がんばりましょう」がとても印象的で、「頑張ります」ではなくて「頑張りましょう」という呼びかけがとても気持ちよかったのです。 ↩︎ ↩︎